人生の花束
店名「ライフブーケ」の名前の由来は、
LIFE(人生)BOUQUET(花束)
=人生の花束
と、なんだか重苦しいイメージですが、私の願いを込めた意味なんです。
人生生きて行く上で、「悲しいこと」「苦しいこと」「楽しいこと」「嬉しいこと」など様々ですよね?自分の寿命まで生き抜くことは本当に大変です。様々な人生経験を経て、最後にお疲れ様!よく頑張りましたね!と花束を貰える人生になって欲しい、私の作ったフラワーアレンジメントを贈った方・贈られた方、関わってくださったすべての人々が幸せになって欲しいと願いを込めた
「LIFE BOUQUET」~人生の花束~
をどうぞ末永くよろしくお願いいたします。
LIFE BOUQUET ナカネ チハル
私のストーリー 「花×喘息」
なぜフラワーデザイン事務所を立ち上げたのか?それは長く苦しい道のりでした。そのストーリーを語りたいと思いますので、長い文章ですがよかったらお読みください。
小さい頃から絵を描くのが好きでした。幼少時代に母親と美術館へ行った記憶や生け花を床の間に飾っていた記憶があり、それがとても印象的で将来絵を描く仕事に就きたいと漠然と思っていました。
高校を卒業し、デザインの専門学校に入学→ディスプレイデザインを専攻しました。その当時はなぜか空間演出をするのがとてもカッコよく見えたからです。ただ卒業から就職する時にはもう、ディスプレイデザインは自分には向いていないと自分で感じていました。もしディスプレイをやるのであればフラワーディスプレイをやりたいと思っていたのですが、その当時はフラワーディスプレイをする造花屋の就職先もなかったので、仕方なくグラフィックデザインに転向しました。(当時は浅はかだったので花屋という選択肢は思い浮かばなかったのです)
印刷会社などでMACを使ってグラフィックデザイン。ありとあらゆる印刷物の作成をしていました。加えて21歳で就職したと同時に「咳喘息」を発症(この頃の病院の先生にはこの病名で言われていました)。28歳で結婚。深夜まで残業が多いグラフィックデザインから結婚と同時に卒業し、接客販売業に転職。アパレルやインテリア雑貨の販売などしていました。
それから20年以上経ち、フラワーデザイン事務所を立ち上げるまでは喘息は治らず、その間仕事にも支障が出て何度も喘息で仕事を辞めては勤めるの繰り返し。「喘息」は不治の病と言われており、一生の付き合いと諦め、20年以上病院ジプシー。転々とさまよっていました。
咳が止まらない時は薬にずっと頼っていまいた。とうとうそのツケがまわり、30代後半には喘息で咳が6ヶ月間止まらない事態に。薬も全く効かない状態で体重もどんどん減って激しい咳で6~7キロほど痩せてしまいました。正直死ぬ思いでした。
当たり前に仕事もできなくなり主人にも申し訳なく、脳裏にはもしも主人が死んだら私はどうやって生きていくのか?と自問自答。こんな体でも一人でやれる仕事をしなければ!自立しなければ!と昔フラワーの仕事がしたかったことを思い出し、フラワー教室で資格を取る中、花屋にも勤め、必死で喘息の治療法や名医を探してやっとAmazonで喘息に関する本を入手。その著者で医師の先生が名古屋市に病院を開院していることを知り、その先生と出会い、今までの喘息治療の概念が変わりました。先生曰く喘息は薬で治るものではなく、心理的要素や生活習慣が原因なのが多く、中でも運動をするのが最も大事なのだそうです。それを毎日コツコツやっていったらなんと奇跡的に治ったのです。今でもその運動や生活習慣を続けています。やり続けることが重要で、もう喘息で苦しみたくないので嫌々(笑)ですが毎日頑張っています。
そんなこんなで私は生まれ変わり、第3の人生のステージに入りました。
これまでの様々な職場経験を生かし、自らホームページ・広告・名刺・ショップカード・フラワーボックスのデザインなど全てのデザイン&制作を一人でやっています。これまで無駄な経験はひとつもないし、咳で苦しむ中必死で仕事をやっててよかったと今感じています。
私には皆様にお花を通して幸せや癒しをお届けする「使命」があるようです。ただそんな気がするのです。
大きな花屋ではできないオーダーメード。心を込めてお作りし、贈る方への思いを花の力を借りて、贈られる方に「愛」をお届けしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
※注意 この文章の中では「喘息」と表現していますが、色々症状から説明すると話がとても長くなってしまうので書かなかったのですが、「原因不明の咳」=「喘息」と表してます。咳喘息の症状もあったし、喘息のような時もあったし、とても表現しきれないのです。